1922年という年

 22つながりということで、1922年のチェコスロヴァキアについて少し書いてみようと思います。
 1918年にまず今まであったオーストリア・ハンガリー二重君主国が解体されます。
 その領土を受け継いだ国々は、オーストリア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ポーランド、ルーマニア、イタリア、そしてチェコスロヴァキアでした。
 チェコスロヴァキアの場合は100%新興の独立国家でした。
 そして、オーストリア・ハンガリー二重君主国の財産を受け継ぐわけですが、この以前のオーストリア・ハンガリー二重君主国の工業の80%、とそして農業を受け継ぎます(これは主にハンガリーだった地域から)。
 以前のオーストリア・ハンガリー二重君主国の縮小版という感じで、多民族国家で、かつ農工業一応何でもござれでした。
 このようなこともありまして、第一次世界大戦でオーストリア・ハンガリー二重君主国の解体後成立した後継国家の中ではもっとも有利な条件で成立することが出来ました。
 
 それでも、一度倒れた国家の経済を受け継ぐということは、つまり今まであった経済の破綻をも受け継ぐということになります。
 後継国家はみなインフレに悩まされます。チェコスロヴァキアも例外ではありませんでした。1923年位まではまあまあのインフレを経験します。そこをラシーンという大蔵大臣が強硬な引き締め策をとって、インフレを収束させます。
 この時代によく知られたインフレの例としてはドイツのものがありますね。この時代もうどうしようもなく収拾の付かない記録的インフレに陥ったものです。
 チェコスロヴァキアの場合はまずまず回避できたということでしょう。この後にチェコスロヴァキアに繁栄が訪れることになります。1938年頃までは。
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by zmrzlina | 2005-12-22 21:47 | チェコスロヴァキア史
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