57年前の今日(後編)

 さて意外にも早く前編で述べた寒い時期の熱い政争は57年前の今日、2月25日に終わります。

 さて昨日も書いたようにチェコスロヴァキア共産党も、非共産主義政党もお互いに譲れない立場になりました。

 ここで動いたのはチェコスロヴァキア共産党です。既に1946年5月の選挙で第一党になっていて、議席数も党員数も他党を圧倒していました。チェコスロヴァキア共産党は大衆動員をかけて、プラハの町で大規模なデモを起こしました。他の非共産系政党はここまでの動員力は持っていませんでした(当時チェコスロヴァキア共産党が第一党でした)。

 そしてプラハの要所、かのカレル橋やヴァーツラフ広場、旧市街広場を占め、練り歩きをするなどの一連の示威活動をしました。プラハのみならず他の都市でもそのような動きが出てきました。これは議会外での政治活動といえるでしょう。

 これに対して非共産主義政党は上に書いたようにそもそも大衆動員能力がチェコスロヴァキア共産党ほどにはありませんでした。そして自分らに同調してくれるであろうと見られた政党の支持も実に揺れに揺れ、結局辞表を提出しませんでした。これで過半数の辞表提出が実現しなくなったわけです。

 こうなると有利になるのはチェコスロヴァキア共産党です。そもそもはチェコスロヴァキア共産党を排除させる意図で出された辞表をそのまま大統領に受理させることも可能になったわけです。

 実際これはチェコスロヴァキア大統領、ベネシュ(彼の立場はどちらかというと非共産主義政党に近かったです)はもう既に国内での混乱を目の当たりにして、国内の内乱を恐れたと言われていますが、そのまま非共産主義政党の大臣の辞表を受理しました。

 そして、首相はチェコスロヴァキア共産党のゴットヴァルトでしたのでこの大臣の辞任を受けて彼の思うような組閣をしました。

 しかしながらこれによって連立政権が完全に崩壊した訳ではありませんでした。大統領は変わりませんでしたし、チェコスロヴァキア共産党以外の者が後釜に座ることも、多くありました。

 ただし、どちらかというとチェコスロヴァキア共産党の同調者を新たに迎え入れての組閣でしたので、国民戦線は形骸化されました。これによってチェコスロヴァキア共産党による単独政権が成立したと解釈だってできます。

 軍配は結局チェコスロヴァキア共産党に上がったと言えるでしょう。これ以降チェコスロヴァキアにおいては社会主義を目指していく方針が徐々に固まっていきます。2月25日は「勝利の二月」としてチェコスロヴァキアの祝日になりました。

 57年前の今日にはこのようなことがありました。チェコスロヴァキアの歴史をひも解くと8が末尾についている年は何らかの事件が起きたりする、偶然があるのですが。今回の場合はチェコスロヴァキアにおける社会主義政権成立だったわけです。

 それにしてもこんな寒い中、まあようやるわと感じます。今日もこちら日本、全般的に寒かったですし、チェコスロヴァキアに至っては当然もっと寒いわけなので寒さを思い偲ぶことができます。

 因みに近代の突発的な政治的事件に季節は関係ないのかもしれません。明日2月26日には日本においてかの2・26事件が起きている訳ですから・・・。
[PR]
by zmrzlina | 2005-02-25 19:11 | チェコスロヴァキア史
<< ミュシャ展に行きました(前編) 57年前の今日(前編) >>