もはや民主化への動きを起こしてもソ連にけん制されることもないということを理解したチェコスロヴァキアの人々は、ちょうど16年ほど前に、体制転換をします。
国名こそは「チェコスロヴァキア社会主義共和国」でしたが、実質は資本主義的な民主制志向の国づくりへ向かうことになります。 チェコスロヴァキアが体制変換を起こした1989年より数年後また政治体制変換を行うことになるのですが、とにかく16年前の今日あたりはまさにその改革の熱がピークに達する一歩手前の日でした。 今ではチェコではもう東欧革命のことを革命とは言いません。改革といいます。それだけに醒めたという実感があるということだったのですが、とにもかくにもその当時は熱かったわけですね。 #
by zmrzlina
| 2005-12-27 20:26
| チェコスロヴァキア史
今日はクリスマスということで、ワインを飲まれている方も多いのではないかと思います。
さてチェコ語ではワインのことを「vino」と書きます。 ラテン語では、「vinum」です。両方とも中性の名詞です。 さてこのワインですが、上に挙げたものはやはりヨーロッパ言語の源であるラテン語に 起源しているといえると思います。ドイツ語ではWeinです。 すこし面白いのはぶどう酒という意味であった「vinum」が英語に入っては、なんとワインではなく、お酢である、「vineger」に影響しているということです。英語のワインの「wine」の起源も「vinum」に求められそうなものですがこれは保留です。いずれにせよ。ラテン語の「vinum」を覚えておくと他のヨーロッパ言語にぶつかった時もそんなにトラブルがおきづらいだろうなと思います。 それでは、メリークリスマス!! #
by zmrzlina
| 2005-12-24 22:55
| チェコ語
今日はクリスマスということで、ワインを飲まれている方も多いのではないかと思います。
さてチェコ語ではワインのことを「vino」と書きます。 ラテン語では、「vinum」です。両方とも中性の名詞です。 さてこのワインですが、上に挙げたものはやはりヨーロッパ言語の源であるラテン語に 起源しているといえると思います。ドイツ語ではWeinです。 すこし面白いのはぶどう酒という意味であった「vinum」が英語に入っては、なんとワインではなく、お酢である、「vineger」に影響しているということです。英語のワインの「wine」の起源も「vinum」に求められそうなものですがこれは保留です。いずれにせよ。ラテン語の「vinum」を覚えておくと他のヨーロッパ言語にぶつかった時もそんなにトラブルがおきづらいだろうなと思います。 それでは、メリークリスマス!! #
by zmrzlina
| 2005-12-24 22:55
| チェコ語
今日はクリスマスということで、ワインを飲まれている方も多いのではないかと思います。
さてチェコ語ではワインのことを「vino」と書きます。 ラテン語では、「vinum」です。両方とも中性の名詞です。 さてこのワインですが、上に挙げたものはやはりヨーロッパ言語の源であるラテン語に 起源しているといえると思います。ドイツ語ではWeinです。 すこし面白いのはぶどう酒という意味であった「vinum」が英語に入っては、なんとワインではなく、お酢である、「vineger」に影響しているということです。英語のワインの「wine」の起源も「vinum」に求められそうなものですがこれは保留です。いずれにせよ。ラテン語の「vinum」を覚えておくと他のヨーロッパ言語にぶつかった時もそんなにトラブルがおきづらいだろうなと思います。 それでは、メリークリスマス!! #
by zmrzlina
| 2005-12-24 22:55
| チェコ語
今日くらいまでにチェコのいたるところでは、鯉がところどころで売られていることでしょう。恒例の行事で24日にはチェコでは(実はチェコに限りませんが)クリスマスで鯉を食べる習慣があります。
チェコの場合はこの傾向は強いです。というのもチェコの南の方、チェスケー・ブジェヨヴィツェという都市の南、ヴルタヴァ(モルダウ)川の上流では多くの湖がありここでまさに養鯉業が行われている訳です。この産業をもってして、プラハなどの消費地にまで鯉が輸送されるわけですね。 因みに最近の傾向としては鯉を一旦買っておいて家のお風呂でしばらく泳がせたりするのですが、そうやって飼っているうちに情が鯉に移って24日の食卓にのぼらせてしまうには忍びないということで買ったはいいけど殺せないということがおきているようです。 ということでまた放流してあげていることも多々あるそうです。幸い鯉という魚は強い魚で多少川が汚れた所でも生活できるので、放したところで後々、心配することもないということですね。 いいものです。 皆様もチェコのように鯉を召し上がられるかどうか分かりませんが、とにかく良いクリスマスイブをお迎え下さい。 #
by zmrzlina
| 2005-12-23 23:59
| チェコに関して色々
22つながりということで、1922年のチェコスロヴァキアについて少し書いてみようと思います。
1918年にまず今まであったオーストリア・ハンガリー二重君主国が解体されます。 その領土を受け継いだ国々は、オーストリア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ポーランド、ルーマニア、イタリア、そしてチェコスロヴァキアでした。 チェコスロヴァキアの場合は100%新興の独立国家でした。 そして、オーストリア・ハンガリー二重君主国の財産を受け継ぐわけですが、この以前のオーストリア・ハンガリー二重君主国の工業の80%、とそして農業を受け継ぎます(これは主にハンガリーだった地域から)。 以前のオーストリア・ハンガリー二重君主国の縮小版という感じで、多民族国家で、かつ農工業一応何でもござれでした。 このようなこともありまして、第一次世界大戦でオーストリア・ハンガリー二重君主国の解体後成立した後継国家の中ではもっとも有利な条件で成立することが出来ました。 それでも、一度倒れた国家の経済を受け継ぐということは、つまり今まであった経済の破綻をも受け継ぐということになります。 後継国家はみなインフレに悩まされます。チェコスロヴァキアも例外ではありませんでした。1923年位まではまあまあのインフレを経験します。そこをラシーンという大蔵大臣が強硬な引き締め策をとって、インフレを収束させます。 この時代によく知られたインフレの例としてはドイツのものがありますね。この時代もうどうしようもなく収拾の付かない記録的インフレに陥ったものです。 チェコスロヴァキアの場合はまずまず回避できたということでしょう。この後にチェコスロヴァキアに繁栄が訪れることになります。1938年頃までは。 #
by zmrzlina
| 2005-12-22 21:47
| チェコスロヴァキア史
今日、今までの少しの体調不良が気になりましたので、採血に行きました。
実は私、血を見るのはとても嫌いなので、もう清水寺から落ちる覚悟で行きました(本当)。 さて、血にかんして話しましょう。非常に古い単語ということは言うまでもないでしょう。 チェコ語では「krev」と書きます。 ところが面白いことに彼ら自身ではその「血」に相当する単語を持っていたなかったのでしょうか、相当昔のチェコ語の形態「古代のスラヴ語」としかいいようのない言語ではラテン語の血を意味する「cruor」という単語を受け容れています。外来語ということですね。 これが長い長い年月を経て「krev」になっていったのですが。クルオールからクレフまでの単語変化の旅は長かったようです。最初の二文字くらいしか発音の共通性がありません。 それでもまだ何とか起源を見出すことができるようです。それにしてもこれではなかなかに語源が分かるものではありません。 #
by zmrzlina
| 2005-12-21 23:15
| チェコ語
最近鉄道、(ここではいわゆる、規制された動きを取る輸送機関のことを鉄道とします)に関心を持つようになりました。経済事情、産業事情、地理的事情によって敷かれる鉄道。歴史を他の角度から見るにあたって「鉄道」を元にみてみるのは面白いことではないかと思うようになりました。
さて、ここからが問題です。当然の事ながらプラハにも市電が走っています。これは広義での「鉄道」になるわけですが、19世紀から走っていることは存じています。 昔の市電と今の市電は大分役割が異なっていたと思います。昔は今ほどに車が普及していたわけでもないでしょう。「観光」という概念もまだまだだったと思います。 そこでここのページをご覧になっている方に伺いたいのですが、かのプラハの観光の中心であるカレル橋にも、市電が動いていたということが確認されています。だとしたら、いつ敷かれて、いつまで走っていたか知りたいです。 当然のことながら、カレル橋は当初観光のために作られた橋ではありません。お城側と、旧市街側を結ぶ唯一の大動脈としてあったわけですね。今は他の橋も架かっているわけですが・・・。 その実用という面から考えて、いつからいつまでカレル橋に市電が走っていたのか有力なサイト、または情報をお持ちの方何卒お願いいたします。 #
by zmrzlina
| 2005-12-19 21:03
| プラハ
今日12月18日は初のチェコスロヴァキア切手が発行された日です。1918年12月18日のことでした。
この切手をデザインしたのはかのアルフォンス・ミュシャです。独立宣言が1918年10月28日ですから40日間以内に図案を仕立てて、そして切手にして発行した訳ですから突貫工事もいいところです。 チェコスロヴァキアが新興国家として成立することを宣言しているかのように太陽が描かれています。実はこの風景を見るときは南から北を見るので天文学的にはありえないことですが、ミュシャはそれをあえて承知でこの図案を採用しました。 これから87年経ちました。デザインとしてはさすがミュシャだと思います。しかしながら、この87年の間にチェコスロヴァキアは様々な事件を経ました。確かにチェコスロヴァキア切手は非常に私を捉えて離さないものですが、果たしてチェコスロヴァキア独立が本当にチェコスロヴァキア地域にとって利益のあったものか、それは今でも議論されていることです。 いずれにせよ、チェコスロヴァキアの切手はこれから始まりました。 ![]() #
by zmrzlina
| 2005-12-18 23:08
| チェコスロヴァキア史
標題どおりですが、明日はチェコスロヴァキア独立記念日です。
ところが今はチェコスロヴァキアという国は存在せず、チェコスロヴァキアを元にチェコという国とスロヴァキアという国があります。 受け止め方が違います。 チェコでは明日10月28日は祝日です。 スロヴァキアでは祝日ではありません。 温度差を感じられずにはいられません。 チェコはチェコスロヴァキア時代の国旗をそのまま受けつぎました。スロヴァキアは独自の国旗を定めました。 スロヴァキアにとっての独立記念日は1993年1月1日です。チェコも1993年1月1日に成立しました。しかしながらこの日はチェコにとっては「新年」という祝日です。独立記念日ではありません。 チェコスロヴァキアを受け継ぐのはチェコであるという主張を聞くことができます。スロヴァキアでは聞くことができません。 明日でチェコスロヴァキア独立から87年です(1918年10月28日独立宣言)。 私は特にスロヴァキアの人々がどのようにこの日を解釈しているのか知りたいです。 スロヴァキアは以下のように宗主国を変えていきました。 ~1867年までオーストリア帝国 →~1918年、オーストリア・ハンガリー二重君主国のハンガリー部分(ハンガリー化がスロヴァキアでも進まれる) →~1938年、チェコスロヴァキア(チェコ人官僚がこの時期以降、スロヴァキア統治に当たって派遣されるようになる スロヴァキア人にとっては必ずしも彼らの事を快く思わなかったようです(当時の選挙結果を見るとかなり明らか)) →~1939年~1945年、ナチスドイツの傀儡国家ながらもチェコスロヴァキアから独立 →1945年~1968年、チェコスロヴァキアの構成部分になる →1969年~1992年、チェコスロヴァキア連邦制国家へ変貌を遂げる。以前より多くの自治を得る →1993年~スロヴァキア このようにしてスロヴァキアを支配していた国はめまぐるしく変わり、スロヴァキア人によるいわゆる「国民国家」が存在したのは1939~1945年と1993年以降です。 しかしながら、チェコスロヴァキア時代においては間違いなくスロヴァキアは重要な構成部分でした。そしてスロヴァキアはチェコ支配層によってかなり近代化を進めました。 明日にはスロヴァキアのメディアにこの10月28日についての評論がされることでしょう。注目です。 #
by zmrzlina
| 2005-10-27 21:02
| チェコスロヴァキア史
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